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無量寺 (和歌山県串本町)
== 概要 == 本土最南端の地、串本町の臨済宗東福寺派別格寺院 通称芦雪寺 無量寺は1707年に発生した南海トラフ巨大地震である宝永地震による大津波で全壊・流失したが〔 中村重久(1987): 和歌山沿岸の最大津波湖上高について, 日仏海洋学会誌 うみ(La mer),25-3-7, 147-150.〕、80年後の天明6年(1786年)に8世愚海和尚によって再建された。和尚が京都にいた頃の友人であった絵師 円山応挙は、これを祝って障壁画12面を描いたが、年齢のためもあり高弟 長沢芦雪に障壁画を託して京から南紀に向かわせた。串本に着いた芦雪は、滞在中に自らも無量寺本堂のために『龍虎図』などを描いている。 障壁画の実物は、新しい収蔵庫内に配置・展示されており、観客が来たときのみ収蔵庫を開け電気をつけて鑑賞できるようになっている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「無量寺 (和歌山県串本町)」の詳細全文を読む
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